決断をする。

接骨院さかいざわ

2021年10月29日 07:01

豊田市志賀町でスポーツに強い接骨院さかいざわです。

アンシンノシルシで検温、アルコールで手指消毒、低濃度オゾン

発生装置AIR FINO VS-50S で除菌・脱臭を行っています。

職員全員がマスクを着用しております。

院長は、マスクとフェイスシールドで、濃厚接触者回避しております。 

新型コロナウイルス感染拡大防止のために完全予約制で行っています。

平素から情報を大切に

 右にするか、左にするか。

決断をくだしたあとの自分の取るべき責任をまずはっきりさせる

と、逆にその決断が容易にくだせるものである。




責任をどうとるのか。

あやまる。


弁償する。

任をしりぞく。

自分の一切を投げうって処置をまかせる。

そのほか責任のとりかたはいろいろあるであろう。

こうしたとき、自分の小さな利益に執着せず、

赤はだかになってもよいと覚悟すると、

右か左かの方向を容易に決断することができる。

こうした意味でも自分自身だけの欲望にとらわれていると、

決断はしにくいものである。

思いきって、すべてを捨てるときに、

おのずから方向はひらけてくる。



 さてまた、当然のことながら、いろいろな情報(資料)がないと、決断をくだしにくいことがある。

何の情報もなければ、きめようがない。

どうしたら情報が得られるのか。

平素から情報をあなどり、そまつにしていると、いざというとき、

なかなか正確な情報が得られない。


 情報といっても、けっきょくは人によって得られるものである。

だから人のいうことを平素からそまつにせず、聞いておくことがたいせつだ。

不快なニュース、いやな知らせなども、耳をふさがず、よく聞いておく。



 もし情報をたいせつにする平素の実行ができていなかったことに気づいたときは、

率直にこれを認め、まごころから反省する。

そうしてすぐに誠意をもって情報を集めようとする。

そしてあわてず、さわがず、まごころを集中する。

そうすると、そのまごころに応ずるだけの情報はかならず集まってくる。


 平素の心がけについてさらにいえば、「適切に気がつく」ということがたいせつだ。



 ところで、平素から気が付いたことをすぐに行っていないと,

いざというときも行えない。

今日はこれをやったらよいとせっかく気づきながら「まあ、明日にしよう」

などと延ばす暮らしを続けていると、いざというとき、適切な措置が頭に浮かんでこない。

かんじんのとき、さっぱり気がつかないのである。

小さなことでも実行に、心がけていないと、大事なことの実行はなおさらできないのだ。


 いずれにしても決断にあたっては事がらがむずかしければむずかしいほど、

それにまごころを集中させる。逃げてはいけない。

酒や遊びに逃避しては、ほんとうの決断は得られない。

それらは逃避するためのものではなくて、決断に対する誠意を集中させるための準備のようなものである。

 
 真剣に取り組め。

さんさんたる太陽の恵み!



信ずべき人の言!

立派な書物!



いずれに取り組み、頭を下げても叡智は与えられよう。

ほんとうに真剣に教えを乞えばヒントはかならずあたえられるのである。

(『つねに活路あり』より)

一般社団法人倫理研究所法人局 様より

 

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